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Photo Essay 櫻の木
ユーモアと好奇心と遊び心を忘れずに……コンサルティング会社の社長の日々雑感
自信回復の10の処方箋
今日の東京は爽やかな秋晴れの一日でした。

今朝の日本経済新聞は、大手小売店の8月中間決算を伝えています。
総合スーパー(GMS)や百貨店が二桁の減益という報道です。
コンビニはタポス効果で一息つきましたが、これも一時的なこと。

先ほどグーグルを見ていましたら、
日本百貨店協会が17日発表した9月の全国百貨店売上高は、
前年同月比4.7%減の5,240億円となり、
7ヶ月連続で前年実績を下回ったとのこと。

どうも従来の百貨店という業態そのものが、
もう無理なのではとも思えます。

毎日報道されるジェットコースターのような株価や円の動き、
個人消費の低迷、景気後退……
明るいニュースが見当たりません。

こういう状況に対して、心理的に落ち込み、
自信を失っている経営者も少なくありません。

そうですよね、自分に自信がないときや、
仕事に自信を感じなれないときってありますよね。
当然、自信がないとモチベーションは上がりません。
気持ちがマイナスのほうに向かってしまいます。

そんなときに皆さんはどうしていますか?
経験的に個別の対処法をお持ちでしょうが、
こんな自信回復の10の処方箋はいかがでしょうか?

①他と比べない、競わない。すべての悩みは比較から生まれます。
②いま、目の前にある出来ることを、一生懸命やる。
③自分の強み、魅力を書き出してみる。書くことが大事です。
④NOという勇気を持つ。断ることに躊躇しない。でも、ていねいに。
⑤やろうとしていることを、小さな単位に分けて取り組む。
⑥弾みをつけるために、まずは自分の好きなことに取り組む。
⑦少々問題ありでも、よかった、よかったを口ぐせにする。
⑧過去にうまくいったときのことを思い出す。懐古趣味にならずに…。
⑨許せない人やコトを許してみる。許すことは、自分自身を解放すること。
⑩マスコミのニースや報道は研究するけれども、基本的には無視をする。

まあ、人間ですから、悩んだり、迷うことは当たり前です。
悩み、迷いが悪いのではなく、
これにとらわれすぎることに問題があります。

おいしいものを食べて、飲んで
たっぷりと睡眠を取るというのも、お勧めいたします。
休日はゆっくり休んで、また一週間、がんばっていきましょう。

ぷり
 自信回復ではないけれど、
 いやしではネコが一番(我が家のぷりです)



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棟方志功
今日9月5日は、明治36年(1903年)に
板画家「棟方志功」が生まれた日です。
「板画家」は「版画家」の間違いではと
思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、
棟方志功は、「版画の“はん”を版ではなく
板と書いてハンと読ませる。
それは板の性質をちゃんと使うためであり、
版だとそれを半分にしていることになるからだそうだ」といい、
生涯に渡り「板画家」といい続けました。 

青森市で鍛冶屋を営む棟方幸吉・さだの
三男(9男6女)として生れた棟方志功は、
幼い頃から弱視でしたが、絵を描くのがとても好きな子供でした。

18歳の時、友人宅で文芸誌「白樺」の挿し絵に使われていた
ゴッホの「ひまわり」と出会い、
そのヒマワリの生命力と存在感に圧倒されました。
「ワだば、ゴッホになる!ワだば、ゴッホになる!」
と誓った棟方志功は、油絵の道にのめり込み、
21歳のとき上京しました。

ところが、コンクールに落選する日々が続き、
3年、4年と時間だけが経っていった頃、
画家仲間や故郷の家族は、
しきりに有名画家に弟子入りすることを勧めました。

しかし、棟方志功は「師匠についたら、師匠以上のものを作れぬ。
ゴッホも我流だった。師匠には絶対つくわけにはいかない!」といったそうです。

やがて棟方志功は、日本にはゴッホも高く評価した
木版画があることに気づき、その道にはいっていきます。
その後の活躍は、皆さんもご存知の通りです。
僕も5年ほど前に、青森市にあります
棟方志功記念館で作品を観て感動しました。

棟方志功は1975年72歳で永眠するのですが、
死を予感したのか、亡くなる前年に自分の墓の原図を描いていました。
それに忠実に作られたその墓は、
なんと敬愛するゴッホの墓と全く同じ大きさ、デザインのものでした。
前面には「棟方志功 チヤ」と夫婦の名を刻み、
没年には永遠に生き続けるという意味を込めて
「∞」(無限大)と彫り込まれています。

最後に棟方志功が板画について残した言葉をご紹介します。
愛シテモ、アイシキレナイ。
驚イテモ、オドロキキレナイ。
歓ンデモ、ヨロコビキレナイ。
悲シンデモ、カナシミキレナイ。
ソレガ板画デス。

ひとつのことを愚直なまでに追い求めた棟方志功、
実はショップブランディングも同じではないでしょうか?

棟方志功1
 弁財天妃の柵 1965年

棟方志功2
 いろは板画柵 1952年

風林火山
先日、甲府での仕事を終えて、
久しぶりにお墓参りに実家に行ってきました。
前日はちょっと涼しかったのですが、この日は暑い日でした。
仕事を終えて、弟に連絡を取り、
甲府駅前の信玄公の像の前で待ち合わせをしました。

この信玄公の像は、以前は駅の正面にあったのですが、
現在は向かって左側にあります。
武田信玄といえば、僕の実家のある南アルプス市櫛形町は、
武田信玄の母親である大井夫人の出生地です。

さて、武田信玄といえば、風林火山ですよね。
風林火山の原本は、「孫子」の軍争篇で軍隊の進退について書かれた部分だそうです。
「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。
其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如し、
動くこと雷霆(らいてい)の如し」からの引用だそうです。

これは「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、
攻撃するのは火のように、隠れるには陰のように、防御は山のように、
出現は雷のように突然に」と言う意味です。

「風林火山」はそうした版の前四句、
つまり「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」を採用したものです。

先に述べましたように、これは戦いの戦術の要諦ですが、
現代の経営に置き換えますと、
疾如風は「意思決定の早さ、スピード感」、
徐如林は「ひたむきな愚直な行動」
侵掠如火は「タイミングを逃さないこと」、
不動如山は「基本の仕組みの徹底」
ではないかと思います。

ちなみに、甲府市にホームを置くサッカーチーム「ヴァンフォーレ甲府」の
「ヴァンフォーレ」はフランス語で「風」を意味する“VENT”と
林を意味する“FORET”とを組み合わせた造語です。
成績がいまひとつなのは、「火と山」がないせいかなあ。

風林火山



職人の仕事
このところ職人の仕事現場に行くことが少なくありません。
モノづくりの現場で職人が黙々と働いている姿が基本的には好きです。

なぜかなあと考えてみると、
父親の姿がダブっているからだと思う。
僕の父親は、建具の職人でした。
もう15年以上も前に、後継者もとらずに静かに仕事かた引退し、
いまはのんびりとした毎日を過ごしています。

自宅の庭に仕事場があったので、
朝8時ごろから仕事を初め、10時ごろにお茶で一服、
昼食をとって、また仕事をして3時に一服
夕方6時半ごろには仕事を終えて、
台所でお酒のお燗を自分でつけて晩酌を楽しんでいました。

このスタイルが日課でしたのでした。
父親から仕事帰りのお土産というものを
もらった事が数えるほどしかないなあと
子供心に感じたことを覚えています。

モノを創る(とくに手仕事で)ということは、純粋にすごいことだと思います。
でも、もしかしたらいまの世の中は職人が働きにくい世の中かもしれません。
どこかにひずみのある世の中です。

効率やスケールメリットばかりを
追いかけることがすべてではないと多くの人が感じていながら、
なかなかその渦から抜け出せていないのが現状です。
職人の働く場が傷んできたら、
モノづくりはだめになる、そう思えてなりません。

今週は出張続きでした。
今週は火、水、木曜日が福井、富山県に、
金、土曜日は高松に出張でした。
久しぶりの5日間の連続出張でしたね。
いやあ~、結構疲れました。

福井、富山は寒気が入り込み、この冬一番の寒さでした。
福井県大野市では朝のうちにちらちらと白いものが舞っていました。
高松行きは、勘違いで全日空機に乗り遅れるというアクシデント、
運良く次の便に乗れたので何とかなりました。
こんなこと、滅多にないことなんですがねえ。
疲れが溜まっているのかなあ。

このブログも高松のホテルで書いています。
週末は映画でも観て、気分転換でもしよう。


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