職人の仕事 |
このところ職人の仕事現場に行くことが少なくありません。
モノづくりの現場で職人が黙々と働いている姿が基本的には好きです。
なぜかなあと考えてみると、
父親の姿がダブっているからだと思う。
僕の父親は、建具の職人でした。
もう15年以上も前に、後継者もとらずに静かに仕事かた引退し、
いまはのんびりとした毎日を過ごしています。
自宅の庭に仕事場があったので、
朝8時ごろから仕事を初め、10時ごろにお茶で一服、
昼食をとって、また仕事をして3時に一服
夕方6時半ごろには仕事を終えて、
台所でお酒のお燗を自分でつけて晩酌を楽しんでいました。
このスタイルが日課でしたのでした。
父親から仕事帰りのお土産というものを
もらった事が数えるほどしかないなあと
子供心に感じたことを覚えています。
モノを創る(とくに手仕事で)ということは、純粋にすごいことだと思います。
でも、もしかしたらいまの世の中は職人が働きにくい世の中かもしれません。
どこかにひずみのある世の中です。
効率やスケールメリットばかりを
追いかけることがすべてではないと多くの人が感じていながら、
なかなかその渦から抜け出せていないのが現状です。
職人の働く場が傷んできたら、
モノづくりはだめになる、そう思えてなりません。
モノづくりの現場で職人が黙々と働いている姿が基本的には好きです。
なぜかなあと考えてみると、
父親の姿がダブっているからだと思う。
僕の父親は、建具の職人でした。
もう15年以上も前に、後継者もとらずに静かに仕事かた引退し、
いまはのんびりとした毎日を過ごしています。
自宅の庭に仕事場があったので、
朝8時ごろから仕事を初め、10時ごろにお茶で一服、
昼食をとって、また仕事をして3時に一服
夕方6時半ごろには仕事を終えて、
台所でお酒のお燗を自分でつけて晩酌を楽しんでいました。
このスタイルが日課でしたのでした。
父親から仕事帰りのお土産というものを
もらった事が数えるほどしかないなあと
子供心に感じたことを覚えています。
モノを創る(とくに手仕事で)ということは、純粋にすごいことだと思います。
でも、もしかしたらいまの世の中は職人が働きにくい世の中かもしれません。
どこかにひずみのある世の中です。
効率やスケールメリットばかりを
追いかけることがすべてではないと多くの人が感じていながら、
なかなかその渦から抜け出せていないのが現状です。
職人の働く場が傷んできたら、
モノづくりはだめになる、そう思えてなりません。
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新宿3丁目の上燗屋「富久」にて |
石川洋先生の講演会の後、新宿伊勢丹を見て、
久しぶりに新宿3丁目にある「富久」に行きました。
かれこれ20年近く通っているお店です。
会社が四谷にあった頃は頻繁に行ったのですが、最近はとんとご無沙汰です。
店頭には“おでんが煮えています上燗屋 富久”という電飾看板があり、
藍染ののれんをくぐり、引き戸を開けます。
(以前は赤い大きな提灯があったはず)
10席ほどのカウンターとロの字のテーブル席がある小さな店ですが、
すこぶる居心地のいい店です。
カウンターにはお皿にその日の料理が盛られています。
カウンターが曲がったところには、おでんが煮えており、
その隣はお酒のお燗をつけるところです。
ほとんど常連さんばかりだと思いますが、まず若い人は入ってきません。
一度若いカップルが来たときに、予約でいっぱいと断っていましたが、
その後予約らしき人は来ませんでした。
だいぶ年配の寡黙なご夫婦がやっているのですが、
料理はお母さん、おでんとお酒の燗とお勘定はお父さんの役割です。
しかし、この日はお父さんしかいませんでした。
用事でもあり遅れているのかなあと思っていたのですが、
飲み始めても現れる気配がありません。
“お母さんどうしたんですか?”と尋ねると、
正月に足のくるぶしを骨折し、まだ治っていないので店に出られないとのこと。
“お父さん一人では大変でしょう”と声をかけると、
“まあ何となんとかなるさ、ただ店を終わってからの片づけが大変だねえ”。
実は20年近く通っているのですが、
お父さんとオーダーとお勘定以外で会話をするのは初めてでした。
まだ時間が早いこともあり、それほど店は込んでいないので、
何となくあれこれと話すことが出来ました。
商売を始めたきっかけ、新宿の昔話、お燗の付け方………。
おでんを前に、熱燗をやりながらの話はいいもんです。
外は寒い季節ですが、気持ちがほっとしてきます。
隣に、初めて店に入ったという年配の女性の方がカウンターに座ったので、
この辺もすっかりと変わったというような話しをぽつぽつとしました。
時間がゆったりと過ぎていく「富久」の夜でしたねえ。
上燗屋「富久」
最寄り駅:新宿三丁目から徒歩3分・新宿から徒歩10分ほど
住所:新宿区新宿3-12-4-107 TEL:03-3350-6729
営業時間:PM17:00~22:00 定休日:日曜日


久しぶりに新宿3丁目にある「富久」に行きました。
かれこれ20年近く通っているお店です。
会社が四谷にあった頃は頻繁に行ったのですが、最近はとんとご無沙汰です。
店頭には“おでんが煮えています上燗屋 富久”という電飾看板があり、
藍染ののれんをくぐり、引き戸を開けます。
(以前は赤い大きな提灯があったはず)
10席ほどのカウンターとロの字のテーブル席がある小さな店ですが、
すこぶる居心地のいい店です。
カウンターにはお皿にその日の料理が盛られています。
カウンターが曲がったところには、おでんが煮えており、
その隣はお酒のお燗をつけるところです。
ほとんど常連さんばかりだと思いますが、まず若い人は入ってきません。
一度若いカップルが来たときに、予約でいっぱいと断っていましたが、
その後予約らしき人は来ませんでした。
だいぶ年配の寡黙なご夫婦がやっているのですが、
料理はお母さん、おでんとお酒の燗とお勘定はお父さんの役割です。
しかし、この日はお父さんしかいませんでした。
用事でもあり遅れているのかなあと思っていたのですが、
飲み始めても現れる気配がありません。
“お母さんどうしたんですか?”と尋ねると、
正月に足のくるぶしを骨折し、まだ治っていないので店に出られないとのこと。
“お父さん一人では大変でしょう”と声をかけると、
“まあ何となんとかなるさ、ただ店を終わってからの片づけが大変だねえ”。
実は20年近く通っているのですが、
お父さんとオーダーとお勘定以外で会話をするのは初めてでした。
まだ時間が早いこともあり、それほど店は込んでいないので、
何となくあれこれと話すことが出来ました。
商売を始めたきっかけ、新宿の昔話、お燗の付け方………。
おでんを前に、熱燗をやりながらの話はいいもんです。
外は寒い季節ですが、気持ちがほっとしてきます。
隣に、初めて店に入ったという年配の女性の方がカウンターに座ったので、
この辺もすっかりと変わったというような話しをぽつぽつとしました。
時間がゆったりと過ぎていく「富久」の夜でしたねえ。
上燗屋「富久」
最寄り駅:新宿三丁目から徒歩3分・新宿から徒歩10分ほど
住所:新宿区新宿3-12-4-107 TEL:03-3350-6729
営業時間:PM17:00~22:00 定休日:日曜日


致知読者の集い「石川洋先生」の講演 |
2月16日(土)、東京・新宿の京王プラザホテルで
致知読者の集い「石川洋先生(托鉢者)」の講演会が開催されました。
石川洋先生は、一燈園(いっとうえん)の創始者、
西田天香師の最後の弟子といわれ、
下坐(げざ)行に人生を捧げてきた托鉢(たくはつ)者です。
石川先生のお話は、過去に2度お聞きしたことがありますが、
久しぶりの講演を聞くことが出来、本当によかったです。
講演のテーマは、、「日々、新生」
ご病気をされてすっかりと痩せられたお姿に驚きましたが、
講演は病を感じさせない力強いものでした。

石川洋先生
たくさんの感じさせていただいた言葉があったのですが、
その中からいくつか書き上げてみたと思います。
●大きいこと、立派なことをするよりも
いま目の前にある何でもないことに
真心と愛を注ぎなさい。
それが一番重要なことです。
●気づくだけではダメ
180度生まれ変わる決意をすること
●出合った人はみんな友達
●微風千里
●信ずるものに道は開かれる、万事OK
●欲が深まると、毒も薬に見えてくる
●今よりも前に
●その日のことをしっかりと終える
次の日の計画を作る
新しき明日を作る
●生きることとは望みを失わないこと
人生とは燃えること
80には80の青春がある
●忙しいと疲れたは自慢にならない
●「中今」
いつでも今しかない、大事なことは今をどう生きるか
このいのちは神代からずっと続いている
致知読者の集い「石川洋先生(托鉢者)」の講演会が開催されました。
石川洋先生は、一燈園(いっとうえん)の創始者、
西田天香師の最後の弟子といわれ、
下坐(げざ)行に人生を捧げてきた托鉢(たくはつ)者です。
石川先生のお話は、過去に2度お聞きしたことがありますが、
久しぶりの講演を聞くことが出来、本当によかったです。
講演のテーマは、、「日々、新生」
ご病気をされてすっかりと痩せられたお姿に驚きましたが、
講演は病を感じさせない力強いものでした。

石川洋先生
たくさんの感じさせていただいた言葉があったのですが、
その中からいくつか書き上げてみたと思います。
●大きいこと、立派なことをするよりも
いま目の前にある何でもないことに
真心と愛を注ぎなさい。
それが一番重要なことです。
●気づくだけではダメ
180度生まれ変わる決意をすること
●出合った人はみんな友達
●微風千里
●信ずるものに道は開かれる、万事OK
●欲が深まると、毒も薬に見えてくる
●今よりも前に
●その日のことをしっかりと終える
次の日の計画を作る
新しき明日を作る
●生きることとは望みを失わないこと
人生とは燃えること
80には80の青春がある
●忙しいと疲れたは自慢にならない
●「中今」
いつでも今しかない、大事なことは今をどう生きるか
このいのちは神代からずっと続いている
目指すべきお客様は誰か、努力に値するお客様は誰なのか? |
よく店のターゲットは誰?という話が出ます。
ターゲットという言葉は好きではないので、
僕は目指すべきお客様、あるいは努力に値するお客様、
または想定理想顧客というふうに使います。
この目指すべきお客様がはっきりしているかどうかは、
店をブランド化しようとするときに、
きわめて重要なことであるのは多くの経営者が知っています。
しかし、現実は不明確であることが圧倒的です。
どうしたら、自店の努力に値するお客様を絞り込むことが出来るんだろう。
そんなことを考えているときに、こんな見方が浮かびました。
経営者の持っている他にはない独自性が
店の基本軸であることはたびたび述べてきました。
独自性なんかないよという声もたくさん聞いてきましたが、
それに対する答えはいつも同じです。
独自性がない人などいない、
独自性が眠っているか気が付いていないだけですと。
独自性は具体的な形としてすでに確立されたものである必要はありません。
これから目指していく、夢、あるいはやりたいことと考えると分かりやすくなります。
いうなれば、好きなことです。好きでやりたいことでなければ、
独自性なんか出来上がるわけがないと思うからです。
そうでなければ、やっぱり違ったということで簡単に投げてしまいます。
そういう例をたくさん見てきました。
さえ、ここでひと思案です。あなたの独自性が必ずしも、
社会で受け入れられるかどうかということです。
この問いについてはこう考えます。
あなたの独自性=やりたいこと、好きなこと、夢を、
お客様の喜びに変換することが必要です。
変換できないものは、あなただけの自己満足でしかありません。
ここで、先に述べた目指すべきお客様が出てきます。
つまり、誰ならば喜んでくれるかということになります。
このことを考えることが、地に足が着いた想定理想顧客の決定となります。
抽象的な論議が、ありありとした現実なモノとなってきます。
あなたは、あなたの店は、誰をどんな風にうれしくさせようとしているのです?
ターゲットという言葉は好きではないので、
僕は目指すべきお客様、あるいは努力に値するお客様、
または想定理想顧客というふうに使います。
この目指すべきお客様がはっきりしているかどうかは、
店をブランド化しようとするときに、
きわめて重要なことであるのは多くの経営者が知っています。
しかし、現実は不明確であることが圧倒的です。
どうしたら、自店の努力に値するお客様を絞り込むことが出来るんだろう。
そんなことを考えているときに、こんな見方が浮かびました。
経営者の持っている他にはない独自性が
店の基本軸であることはたびたび述べてきました。
独自性なんかないよという声もたくさん聞いてきましたが、
それに対する答えはいつも同じです。
独自性がない人などいない、
独自性が眠っているか気が付いていないだけですと。
独自性は具体的な形としてすでに確立されたものである必要はありません。
これから目指していく、夢、あるいはやりたいことと考えると分かりやすくなります。
いうなれば、好きなことです。好きでやりたいことでなければ、
独自性なんか出来上がるわけがないと思うからです。
そうでなければ、やっぱり違ったということで簡単に投げてしまいます。
そういう例をたくさん見てきました。
さえ、ここでひと思案です。あなたの独自性が必ずしも、
社会で受け入れられるかどうかということです。
この問いについてはこう考えます。
あなたの独自性=やりたいこと、好きなこと、夢を、
お客様の喜びに変換することが必要です。
変換できないものは、あなただけの自己満足でしかありません。
ここで、先に述べた目指すべきお客様が出てきます。
つまり、誰ならば喜んでくれるかということになります。
このことを考えることが、地に足が着いた想定理想顧客の決定となります。
抽象的な論議が、ありありとした現実なモノとなってきます。
あなたは、あなたの店は、誰をどんな風にうれしくさせようとしているのです?
「懐かしの高校生時代」は、恐るべし強力なパワーです |
2月9日(土)に、高校の時の同窓会が開かれました
(ちなみに僕は山梨県の生まれです)。
会の名前は「えべし49」です。
かれこれ10年ほど前から、東京に住んでいる同級生が
突発的に集まって飲んでいたのですが、
会の名前を付けようということになり、
先の名称が決まりました。「えべし」とは甲州弁で、来いよ、行こうよという意味です。
さて、昨年の2月にこの会が開かれたのですが、
その時に翌年の幹事に指名され、他の2名の仲間とともに準備を進めてきました。
準備会という名目の飲み会を何回開いたことか。
あいにく9日の天候は曇りのち雪、
山梨からも来る仲間がいるので、気になりましたたが、
なんとか開催時間の12時までは降り出さず、予定通り開催出来ました。
しかし、高校の同級生とはなんとも不思議な存在です。
実に34年ぶりに合う仲間が何人いたのですが、
最初はちょっと惑っていたのですが、
乾杯とともにあっという間に高校時代にタイプスリップしてしまいました。
現在の立場も地位も関係なし、お前、俺、○○ちゃんで通ります。
高校時代には少ししか話したことのない女子も同じ高校ということで、
笑いながら話せるんですから………。
懐かしの高校生パワーってすごい、そう思わざるを得ません。
一次会から2次会はカラオケ、さらに場所を移して3次会、
中野に移動して、スナック、ジャズバー、最後はラーメン屋と6次会まで続きました。
時間はもう2時近く、始まったのが昼間の12時ですから、延々と14時間、すごいよね。
恐るべし、懐かしの高校生パワーです。
「懐かしさ」は店のコンセプトになるぞ、
タクシーに乗って酔った頭でそんなことを考えていました。
(仕事柄とはいえ、悲しい性です)。
(ちなみに僕は山梨県の生まれです)。
会の名前は「えべし49」です。
かれこれ10年ほど前から、東京に住んでいる同級生が
突発的に集まって飲んでいたのですが、
会の名前を付けようということになり、
先の名称が決まりました。「えべし」とは甲州弁で、来いよ、行こうよという意味です。
さて、昨年の2月にこの会が開かれたのですが、
その時に翌年の幹事に指名され、他の2名の仲間とともに準備を進めてきました。
準備会という名目の飲み会を何回開いたことか。
あいにく9日の天候は曇りのち雪、
山梨からも来る仲間がいるので、気になりましたたが、
なんとか開催時間の12時までは降り出さず、予定通り開催出来ました。
しかし、高校の同級生とはなんとも不思議な存在です。
実に34年ぶりに合う仲間が何人いたのですが、
最初はちょっと惑っていたのですが、
乾杯とともにあっという間に高校時代にタイプスリップしてしまいました。
現在の立場も地位も関係なし、お前、俺、○○ちゃんで通ります。
高校時代には少ししか話したことのない女子も同じ高校ということで、
笑いながら話せるんですから………。
懐かしの高校生パワーってすごい、そう思わざるを得ません。
一次会から2次会はカラオケ、さらに場所を移して3次会、
中野に移動して、スナック、ジャズバー、最後はラーメン屋と6次会まで続きました。
時間はもう2時近く、始まったのが昼間の12時ですから、延々と14時間、すごいよね。
恐るべし、懐かしの高校生パワーです。
「懐かしさ」は店のコンセプトになるぞ、
タクシーに乗って酔った頭でそんなことを考えていました。
(仕事柄とはいえ、悲しい性です)。
独自性の軸はいろいろあるんだなあ |
月曜日から出張が続きました。
神戸、岐阜、そして福井を回り、昨日11時ごろに東京に戻ってきました。
岐阜は雪こそ降っていませんでしたが、寒かったですね。
福井では今年一番の寒気が流れ込んでおり、雪、雪でした。
今年の東京は年が明けてから寒い毎日が続いていたので、
寒さには慣れているつもりでしたが、やはり北陸は寒かったなあ。
さて、出張は、店をブランドにすることを伝える一種の布教活動のようなもの。
店をブランドにすることに使命を感じる僕としましては、いつも真剣勝負です。
そんな中で、今回は再確認できたことですが、
店の独自性というとどうしても商品の独自性に
引っ張られることが多いのですが、
必ずしももそうではなく、お客様に対するサービスや関わり方でも
独自性の世界は創れるということです。
例えば、来店していただいたお客様に、
心から居心地のいい店を創ろうとしようということでも、独自性は生まれます。
問題は、そのことを真剣にかつ楽しんで取り組めるかどうかです。
みんな考えることは、それをやればどれくらい売れるのか、
儲かるのかということですが、
そこから生まれたものは
独自性には間違いなくたどり着かないということです。
世の中、そんなに甘くないんだなあ。
これを失ったら、もう何もない
というくらいの突き詰めた意識が必要なんだと思うよ。
自分が目指す世界に向けて、
とことん自分を追い詰めていけるかどうかだと思う。
傍からみると、そこまでしなくてもと思えるようなこともやるのがブランドですね。
しかも、それを楽しんでということ。
クレージーでフールでなければ、店をブランドにすることなんか出来ない、
最近そう思うようになりました。
神戸、岐阜、そして福井を回り、昨日11時ごろに東京に戻ってきました。
岐阜は雪こそ降っていませんでしたが、寒かったですね。
福井では今年一番の寒気が流れ込んでおり、雪、雪でした。
今年の東京は年が明けてから寒い毎日が続いていたので、
寒さには慣れているつもりでしたが、やはり北陸は寒かったなあ。
さて、出張は、店をブランドにすることを伝える一種の布教活動のようなもの。
店をブランドにすることに使命を感じる僕としましては、いつも真剣勝負です。
そんな中で、今回は再確認できたことですが、
店の独自性というとどうしても商品の独自性に
引っ張られることが多いのですが、
必ずしももそうではなく、お客様に対するサービスや関わり方でも
独自性の世界は創れるということです。
例えば、来店していただいたお客様に、
心から居心地のいい店を創ろうとしようということでも、独自性は生まれます。
問題は、そのことを真剣にかつ楽しんで取り組めるかどうかです。
みんな考えることは、それをやればどれくらい売れるのか、
儲かるのかということですが、
そこから生まれたものは
独自性には間違いなくたどり着かないということです。
世の中、そんなに甘くないんだなあ。
これを失ったら、もう何もない
というくらいの突き詰めた意識が必要なんだと思うよ。
自分が目指す世界に向けて、
とことん自分を追い詰めていけるかどうかだと思う。
傍からみると、そこまでしなくてもと思えるようなこともやるのがブランドですね。
しかも、それを楽しんでということ。
クレージーでフールでなければ、店をブランドにすることなんか出来ない、
最近そう思うようになりました。