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Photo Essay 櫻の木
ユーモアと好奇心と遊び心を忘れずに……コンサルティング会社の社長の日々雑感
冒険家、「植村直己」
今日、8月30日は「冒険家の日」だそうです。
なぜこの日が冒険家の日になったのかといいますと、
1970年、冒険家の植村直己さんが
アラスカ・マッキンリー単独登頂に成功して
世界初の五大陸最高峰制覇をなし遂げたのが、この日だからです。

その後、植村さんは単独犬ぞり北極点到達や
グリーンランド縦断に成功しました。
しかし、43歳の誕生日の1984年2月12日
世界初のマッキンリー厳冬期単独登頂を果たしますが、
翌13日に行われた交信を最後に連絡がとれなくなり、
消息不明になってしまいます。

2度の捜索が行なわれましたが、
発見されることはなく、生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られました。
そして現在に至るまで遺体は発見されていません。

植村さんは講演の中で、こんなことを語っています。
「人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、
夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにあります」。

植村さんの心には、成功や失敗といった結果よりも、
そこへ向かうプロセスこそが大切なのだということが
強烈に刻み込まれていたようです。

冒険家といわれると、大胆不敵な挑戦をイメージしますが、
植村さんは臆病ともいえるほど、行動には慎重な方だったようです。
いつも「冒険とは生きて帰ること」っていっていたそうです。

最後にもうひとつ、植村さんの言葉を紹介します。
「あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。
結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。」

経営も同じことではないでしょうか?


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秋の気配
今週で8月も終わり、来週からは9月です。
今年は猛暑の夏でした。9月にはいってもまだ残暑が厳しいようです。

それでも季節は確実に秋に向かっています。
今日は6階の会社の窓から外を見ていると、
赤とんぼがたくさん飛んでいました。

秋といえば、きのこです。
写真は通勤途中の遊歩道で見たきのこです。
気温が下がった数日であっという間に生えてきました。
何のきのこかわかりませんが、
地面すれすれからデジカメで撮影したら、ちょっと不思議な写真になりました。

謎のきのこ1
 湿った地面ににょきにょきと登場

謎のきのこ2
 ちょっと不気味な世界でしょ


ブランドの誤解①
久しぶりにショップブランドについて書きます。これで5回目となります。

さて、今回のテーマはブランドに関する勘違いです。
ブランドというと、シャネルやルイヴィトンなどの
海外の高級品を思い浮かべる人が多いと思います。

でも、以前ご説明しましたように、
顧客が強く価値を感じるものすべてがブランドになりうるわけですね。
商品だけでなく、店や企業や地域、団体もブランドになるということです。

マークや商標をブランドと思う人も多いでしょうね。
でも、これはブランドをイメージさせるひとつの要素でしかありません。
マークや商標からイメージされる価値や世界観こそがブランドです。

また、ブランドは広告・宣伝や販売促進で出来上がるものではありません。
あらゆる活動を通して創っていくのがブランドです。

ブランドはお客様だけのものでしょうか。
もちろんお客様は大事ですが、
ブランドは社員や取引先にとっても価値を生み出すものなんですね。
ブランドは店に対する社員のロイヤリティを強め、
モラルとモチベーションの高い社風を生み出します。
取引先に対しても、強いパートナーシップを築き上げ、円滑な取り組みを可能にします。

だいぶブランドのことがわかってきましたか?
なかなかつかみどころがない?そうですよね、僕もそうでした。
基準やルールが明確にあるわけではないのでわかりにくいですよね。

でもブランドには圧倒的な存在感があると思いませんか?
さらに何ものにも替えがたい独自性もあります。
手に入れることによる誇りと喜びがあります。

ブランドを発信する側からみますと、
お客様が五感のすべて使って、
どういううれしさを味わって欲しいかを描き、実現を目指すものといえます。
その人の生活がどのように変るのか、
どう楽しくなるのかというところを、きっちりと描かなくては実現できません。
そうでなければ受信側のお客様には圧倒的な存在感や独自性が生まれてきません。

ブランドを発信する側にとっては、
“どうあって欲しいか”という事前の願望です。
受信する側にとっては、“実際にはこのように連想される”という事後の結果です。

ということは、発信する側にとって大事なのは、
お客様の頭の中に圧倒的な存在感や独自性を創り上げるために、
事前像をきっちりと創り上げることですね。

風林火山
先日、甲府での仕事を終えて、
久しぶりにお墓参りに実家に行ってきました。
前日はちょっと涼しかったのですが、この日は暑い日でした。
仕事を終えて、弟に連絡を取り、
甲府駅前の信玄公の像の前で待ち合わせをしました。

この信玄公の像は、以前は駅の正面にあったのですが、
現在は向かって左側にあります。
武田信玄といえば、僕の実家のある南アルプス市櫛形町は、
武田信玄の母親である大井夫人の出生地です。

さて、武田信玄といえば、風林火山ですよね。
風林火山の原本は、「孫子」の軍争篇で軍隊の進退について書かれた部分だそうです。
「其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」。
其の疾きこと風の如く、其の徐(しず)かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如し、
動くこと雷霆(らいてい)の如し」からの引用だそうです。

これは「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、
攻撃するのは火のように、隠れるには陰のように、防御は山のように、
出現は雷のように突然に」と言う意味です。

「風林火山」はそうした版の前四句、
つまり「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」を採用したものです。

先に述べましたように、これは戦いの戦術の要諦ですが、
現代の経営に置き換えますと、
疾如風は「意思決定の早さ、スピード感」、
徐如林は「ひたむきな愚直な行動」
侵掠如火は「タイミングを逃さないこと」、
不動如山は「基本の仕組みの徹底」
ではないかと思います。

ちなみに、甲府市にホームを置くサッカーチーム「ヴァンフォーレ甲府」の
「ヴァンフォーレ」はフランス語で「風」を意味する“VENT”と
林を意味する“FORET”とを組み合わせた造語です。
成績がいまひとつなのは、「火と山」がないせいかなあ。

風林火山



アメリカ梯梧(でいご)
地下鉄東西線の木場駅の近くの交差点に、
ちょっと気になる樹木があります。
高さ10m近くになるこの木は交差点の歩道にあります。

6月の下旬に、この木の下に赤い花がきれいに散っていました。
朝が早かったので、まだ踏み潰されておらず、
都会ではちょっと異様な光景でした。

そのときは、何の木なのかわかりませんでしたが、先日名前がわかりました。
アメリカ梯梧(でいご)という木です。
別名、海紅豆(かいこうず)、つまり海外から来た赤い豆の意味ですね。

南アメリカ原産で江戸時代末期に渡来したそうです。
アルゼンチンとウルグアイの国花です。
メキシコでは花をサラダや煮物などに利用するとか。

開花時期は、6月中旬から9月中旬です。
7月に入ると一時的に花が途絶えるが8月から再び少し咲き出します。

ちなみに、宮沢和史率いる「ザ・ブーム」のヒット曲「島唄」の
歌詞にも出てくる沖縄県の県花の「梯梧(でいご)」は、
このアメリカ梯梧に似ていますが、種類が違うのだそうです。

でいご1
 木の下に散った梯梧(でいご)の花

でいご2
 6月下旬の花の様子です


簡単にブランドの起源と進化をまとめておきましょう。
ショップブランディングの解説の4回目です。
これから少し、ブランドとは何かについて書きますね。
とびとびになりますがお付き合いください。

一口にブランドいっても立場や角度によって様々な解釈があります。
その語源は何か?
このことはいろいろなブランドの本に書いてあることですから、
あまり詳しく説明はしませんが、
一応整理をしておきたいと思います。

ブランドという言葉は、
古代ノルド語(スカンジナビア語という説もあります)の
「bramdr(焼き付ける)」という言葉に由来するといわれています。
焼き付ける、という意味からもわかるように、
もともとは自分の牛や家畜に押していた焼印のことであり、
他の酪農家のものと識別するための手段として生まれました。

また、中世の陶工は自分の作品にマークやサインを入れていました。
ヨーロッパのギルド社会においては、
このマークやサインがどこのギルドのものかという
出所表示として使われていたそうです。
製造業者を示すマークは
古代エジプトの遺跡から発掘されたものにもあったといいます。
まあ、製作者の意地と虚栄心の表れかもしれませんね。

このようにブランドは、古くから自分の製作したものや
所有しているものを他と区別する手段として用いられてきました。
18世紀になりますと、産業革命により大量輸送手段が発達し、
遠方の商品も取引されるようになりました。
消費者にとっては商品の選択肢が格別に増えたということです。
これは商品の選択を難しくさせることにもなりました。

また、いつの時代でもそうですが、
品物を偽って儲けようとする輩がいます。
メーカーは商品にラベルを貼ったり、
特徴のあるネーミングをつけたりして、
自社の商品を他と区別するようになりました。

生産団体や生産地を見分ける方法、
つまり保証の証としてもブランドは用いられてきたんですね。
このあたりが現在のブランドの起源といえます。

やがて、大規模の全国レベルのメーカーが、
地域の中小のメーカーを駆逐し、
いわゆるナショナルブランドが成立するようになりました。

さらにマスメディアの発達ともに
自社の優位性を訴求する宣伝活動が
ブランドのイメージを形成する役割を果たすようになりました。
これが大まかなブランドの起源と発達の歴史です。



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